ミュージシャンを志して福岡から上京した安部。吉野家のアルバイトから社長にまで上り詰めたあとも、つねに注目を集めてきた。
22年の社長人生で最大の危機は2003年12月24日、クリスマスイブに起きたBSE(牛海綿状脳症)問題だ。2日後には日本政府が輸入を禁止。米国産牛肉にこだわっていた安部は、即座に牛丼販売停止を決断した。BSE発覚から1カ月半、とうとう牛肉在庫が底を突く。
「安部ちゃんさ、米国産にこだわらなくてもいいんじゃない」。モスフードサービス社長の櫻田厚は、安部を食事に誘ってこう助言した。「別の産地の牛肉でも作れるでしょう」。しかし安部は首を横に振ってこう返した。
「あっちゃん、それは無理だよ。他の産地の牛肉を使っても牛丼という商品は出せる。でも、それだと吉野家の味は出せないんだから」。
米国産牛肉の輸入が再開され、吉野家が牛丼の販売を再開したのは950日後のことだ。
■ 「根拠はないけど確信はあった」
安部は当時をこう振り返る。
「実は会社が生きるか死ぬかという不安は微塵もなかった。無借金で、潤沢な自己資金もあったので。牛丼抜きでも半年か1年もあれば、業界のアベレージ並みの利益は出せると……根拠はないけど確信はありましたね」。
安部がそう言いきれるのは、まだ一社員だった1980年に吉野家の倒産を経験しているからだ。
120億円の負債を抱えて1980年7月に東京地方裁判所へ会社更生法の適用を申請し、事実上の倒産。この原因はどこにあったか。店舗の急増に対応する ため、つゆを粉末に変更したこと、輸入牛肉の供給不足のためフリーズドライの乾燥牛肉の利用に踏み切った事など、店舗増を最優先したことから味の悪化が進 み、そのことがファン離れをもたらした、といわれている。
しかし、安部は倒産の根因はほかにあったと考えている。「最大の原因は内部分裂ですよ。組織が一体感を持ってある方向に向いていれば、何があっても決定 的にダメになることはない。だからBSEの時も、社員の不安を払拭する、われわれがやっていることに意義がある、こうするとこうなるということを節目、節 目で伝えるようにした」
倒産当時のエピソードを、安部と旧知の仲で日本フードサービス協会顧問の加藤一隆はこう明かす。
■ 「吉野家のお客さんを誰が守るのか! 」
「倒産前後は、たくさんの企業が吉野家の優秀な社員を引き抜こうと説明会を開催していました。ある説明会で人事担当者の話が終わったあと、安部ちゃんは強く言ったらしいです。『吉野家に来てくれているお客さんを誰が守るんですか! 』ってね」。
「再建期間中に培ったものは、BSEの時も生きたと思う。厳しい環境下でも成果はいずれ出せるというような確信が持てたのも、そのときの経験があったか らです」。そう言って笑う安部だが、次のようにも明かした。「ときどき、ふっとね。一人のときですけど。本当にいつか日の目をみるんだろうか、という気持 ちになりました」。
=敬称略=
入社して42年、吉野家の浮沈をすべて見てきた男の人生に迫る14ページ。「オヤジ」と慕った人物、二卵性双生児と言われた男の存在、社長復帰の秘話、そして牛すき鍋膳に込めた思い……。
『週刊東洋経済2014年8月9・16日号』(8月4日発売)は、120分のロングインタビューも含め、安部修仁の物語をお届けします。⇒目次の詳細・購入はこちらから
タオバオ日本語120億円の負債を抱えて1980年7月に東京地方裁判所へ会社更生法の適用を申請し、事実上の倒産。この原因はどこにあったか。店舗の急増に対応する ため、つゆを粉末に変更したこと、輸入牛肉の供給不足のためフリーズドライの乾燥牛肉の利用に踏み切った事など、店舗増を最優先したことから味の悪化が進 み、そのことがファン離れをもたらした、といわれている。
しかし、安部は倒産の根因はほかにあったと考えている。「最大の原因は内部分裂ですよ。組織が一体感を持ってある方向に向いていれば、何があっても決定 的にダメになることはない。だからBSEの時も、社員の不安を払拭する、われわれがやっていることに意義がある、こうするとこうなるということを節目、節 目で伝えるようにした」
倒産当時のエピソードを、安部と旧知の仲で日本フードサービス協会顧問の加藤一隆はこう明かす。
■ 「吉野家のお客さんを誰が守るのか! 」
「倒産前後は、たくさんの企業が吉野家の優秀な社員を引き抜こうと説明会を開催していました。ある説明会で人事担当者の話が終わったあと、安部ちゃんは強く言ったらしいです。『吉野家に来てくれているお客さんを誰が守るんですか! 』ってね」。
「再建期間中に培ったものは、BSEの時も生きたと思う。厳しい環境下でも成果はいずれ出せるというような確信が持てたのも、そのときの経験があったか らです」。そう言って笑う安部だが、次のようにも明かした。「ときどき、ふっとね。一人のときですけど。本当にいつか日の目をみるんだろうか、という気持 ちになりました」。
=敬称略=
入社して42年、吉野家の浮沈をすべて見てきた男の人生に迫る14ページ。「オヤジ」と慕った人物、二卵性双生児と言われた男の存在、社長復帰の秘話、そして牛すき鍋膳に込めた思い……。
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